先に、同じアカマツでもそれぞれ性格や特徴があることについて書きました。例えば芽折りをして新芽が出やすい木とそうでないもの。その他に花が付きやすい木や、樹皮が薄い木や、幹の赤さと範囲など様々です。それらの事を飛騨では性種(しょうたね)と言います。例えば、「性種が悪いで何ともならんな~。」といった使い方をします。どうやらこれは木に限ったことではなく、人にも性種により何ともならない部分があるようです。人の場合は「性根」ですな。
以前は、山にある木を根廻しておき、その後庭に植えたので、庭木のアカマツをみてその特徴からどこの出の(どこの山から掘り出した)木であるかを当てたりしましたが、今は誰も興味がありません。ちなみに飛騨の中でもより田舎から高山に出てきた(移り住んだ)人を「山出し」と呼びます。「お前は○○の出やろ~」とか言いますが、これからはこう言った言葉も差別語で使えなくなりそうです。実際は、地元に誇りを持っている人が多いので差別とは受け取りませんが・・。
2018/10/08
捕捉です。アカマツの芽折りをする際、時期が早い方が来年の芽を準備しやすいと書きました。確かにそうですが、その時期のみアカマツの手入れができる訳ではありませんし、芽折りの適期でない時に伸びすぎた新芽を短くしたい時もあります。その際、葉を切らないように軸に鋏を入れますが、それと同時に古葉(昨年出た葉)をむしります。(その時期、その木、手入れの方法によってむしる量は違います。)そうすると、適期でない場合でも新芽を準備する確率は、むしらない場合に比べ高くなります。以前にも書きましたが、同じアカマツでも性格が違うので、新芽が出なくても問題ない箇所で、かつどの時期ならどのくらい新芽が出るのか、出ないのか事前に確認します。
2018/09/17
木の撤去のお仕事の依頼が来たらまず見に出かけます。ちなみに伐倒できる木の撤去の依頼はまず来ないので、勉強のためにも見に出かけます。次に作業方法について考えまます。最優先は伐倒できる方法がないか考えます。次に機械(高所作業車やクレーン)が使えないか考えます。どれもできない場合樹上作業を選択します。また、樹上作業を選択した場合でも途中から伐倒が可能になれば伐倒します。クレーンが使える状況になれば使います。なるべく樹上での作業が少なくなるように考えます。損傷のある木の場合はなおさらです。これは歳を取った事や、太って体が重くなったことだけが要因ではなく、安全な作業をするためです。ロープを使った樹上作業を学ぶとどんな木も登って対処しようとしてしまいます。確かに素晴らしい技術ですが登れるだけではダメで、プラス安全である必要があります。まずは登らず処理できる方法を考えるようにしています。
2018/09/10
ネタが思いつか居ないので、以前、岐阜県緑化協会の協会報に寄稿を依頼され苦し紛れに「囲炉裏ばた会議」として書いたものがあるのを思い出し、簡略し書き留めることにします。「囲炉裏ばた会議」とは私の部屋には囲炉裏があり、つまみを炙りながらお話をする文化的な変人会が催されます。次の日には覚えていない酒の席のヨモヤマ話のつもりで命名しました。
フランス~古書
会社に1通の履歴書が郵送されてきました。郵送元はフランス。???その後メールも届きました。履歴書の送り主は地中海沿岸のカンヌとマルセイユの間にあるメリーという町に住む31歳の青年からでした。彼は日本庭園について興味があり現在独学で「須弥山」について勉強中との事でした。また日本で日本庭園のお仕事をしてみたいとの事でした。結局就職には至りませんでしたが、「はっ。」とする出来事でした。
日本にいて、しかも日本庭園に関する仕事に就いているのに。勉強不足や~。というわけで以前買い集めた庭に関する古書、解説書、図鑑、仏教書などを引っ張り出してきました。なんとも懐かしく思い出すことがありました。20数年前、名古屋の古書店をまわり「築山庭造傳」を見つけ、値段を見てびっくり!16万円!あえなく高山に退散したこと。買うだけで賢くなったつもりで読んでいない本の数々。購入できない本は、国会図書館で特別閲覧中のものをダウンロードしたりと勉強するつもりでいた事など。懐かしい。現在ネットオークションで安く出品されています。確かに解説書を買えば用は足りますが、ついつい読めない古書をしかも同じものも購入してしまいます。20数年前の反動ですな。もっと言えば、大阪市立大学のゼミから各種作庭書の原文データと現代語訳データが公開されています。購入はただの物欲です。反省しています。
2018/09/03
「アカマツは囲炉裏を探す。」と飛騨では言う。「囲炉裏のある所に太い根が伸びているぞ。」という意味です。2011年(平成23年)長野で開催された日本樹木医会の総会時の講演で、土に炭を混ぜて埋戻し樹勢回復を行うといった、ためになるお話があった。昔の庭師も大したもんだと飛騨に帰り移植実験をしてみた。しかし葉は薄緑になり、根元からはテングダケがたくさん生えてきてびっくり。おまけにマツモグリカイガラムシも入りさんざんな目にあいました。
2017年(平成29年)長野県樹木医会で炭を使った菌根菌の勉強会があったので、早速参加させて頂きました。すると、アカマツに使用すると・・・。上記の事例が発表され納得。その後のアカマツの様子は紹介されませんでしたが、中坪実験では2年でとても元気に回復しました。ちなみに、中坪では流水で48時間浸した消炭を使用しています。土壌改良についてはまた。忘却が訪れる前に。
2018/08/27
平成12年、たい肥を作ることにした。木を扱う上で土が大切であると思ったからである。法律的に問題があるかどうかは別にして、飛騨の庭師には手入れによって出た枝葉を山の谷に捨てている方がいて、その方曰く、「同じ箇所ばかりあけると(捨てると)抜けてまう(土が流失する)し、木はしとなりすぎて(大きくなり過ぎて)根が張らずに倒れるでだしかんぞ!」また、自分が過去に行った根の実験でも確かに土が良いと根の伸長量は少ないこと、化学肥料と植物性たい肥の比較などから、土を作ってみたいと思ったのである。森は1㎝の土を作るのに100年かかるとある本に書いてあったので、真実か否かは別にして森の土を作ることにした。
そこで、植物だけを使った(手入れによってでた枝葉のみを使った)たい肥を作ることを決め、たい肥作りを始めた。農家のたい肥の作り方を見て回ったが、どの農家も動物性残渣を利用していて、植物だけでは発酵しないのではということだった。それから色々試行錯誤の結果、①2~3m枝葉を積み上げて枝葉に圧力がかかるようにすること。②適当な水分を加えること。③空気を入れる(撹拌する)こと。この3点によって、枝葉のみで十分発酵することが分った。ちなみに発酵時温度を測った際の最高温度は、87度であった。そこまで発酵温度が上がる時は既にたい肥の中の葉は真っ白に乾いていて、撹拌しながら水分を足し次の発酵を促す必要がある。ここまでが1年である。
どんなに発酵して温度が上がっても枝部は残ってしまうので、その後は野積みで年に3回程撹拌する程度で放置しておく。すると、カブトムシをの幼虫が大量に涌いて枝を食べてくれる。カブトムシが涌かなくなるとたい肥の完成となる。完成したたい肥は成分分析を依頼しているが、いまいち表を見てもよく分からない。しかし、土に混ぜて使用すると細根が絨毯のように発生するので土壌改良材の一つに使用している。
問題は、完成時でもカブトムシの食べ残した枝が残っているので、使用する分をいちいち振るいに掛ける必要があること。というわけで、今度は「樹木粉砕車(グリーンザウルス)」を購入し、細かいチップにしたものでたい肥製造中です。もう一つ問題点は、針葉樹と広葉樹の割合です。凡そ4:6ですが、この割合の変化によって、土壌に混ぜて使用した時の発根量にどんな影響があるのだろうか?と少し思いますが、今作っているたい肥は効果があるのでヨシとします。
2018/08/20
石積は地方によって積み方も呼び名も多少異なるが、飛騨で自然石による石積というと大きく3種に分けられる。写真左から順に、乱積み、控え積み、野面積みである。
乱積みは、一般に高さ2.0m以内で施工する。石を1段~2段(3段)に重ねる。1段は一つ石と呼び、石積の始めと終わりは一つ石である。一番下に据える石を根石と呼ぶ。根石の地面に埋め込んだ深さを根入れと呼ぶ。根石は根入れを除いた地表面に出る高さは石積高の半分以上にする。また個々の石の重心が一方向にならないようにすることで石積の景色が良い。配石は、一つ石と2段との配置と、根石の高さが一定にならないバランスが大切。石積を横から見た時、一番上(天端)の石の据え方を見ると手間の掛け具合がよくわかる。天端の石が石積みの勾配まで点又は線で出ている石積の方が見た目もよく、手間も掛かっていて、使用している石も大きく、技術的にも良い石積と言える。
石積みを依頼する際は、依頼する予定の会社が過去に施工した石積を必ず確認してから依頼することをお勧めする。ポイントを挙げるのは難しいが、感覚的に安定感があり、美しいもの。また横から見て天端の石が勾配まで出ているもの。コンクリートが目に見えるように使用していないことですかね。
2018/08/13
木は記憶することができる。何故か、どう言う仕組みか知らないが、記憶することができる気がします。個人的に木に記憶があると思った方が愛着がわきます。
庭師が使う言葉に「鋏慣れ」というのがある。使用例は「鋏慣れしとらん木をいきなり強よう入れると枯てまうぞ。」てな感じです。つまり、鋏を知っている木と知らない木がいることになるが、これは言葉のあやで、本当は記憶によるものと信じたいですが、そうは言えないようです。なぜなら、荒れた木を手入れすると、懐にいた弱い芽の枝を残すことになります。強く鋏を入れる程、弱い芽が多く残るので、枯れる可能性が高くなるからです。
次の例は、記憶があるように思えます。それは、雪解けの季節に観察できます。少し前の飛騨では、飛騨以外の木を移植する際は、移植したい木を雪の下で冬越ししてから春に木を掘り起こして植えていました。発芽の調整のためであると思います。思いますというのは、昔からそうしてきたので意味など考えないからです。前年に木(コブシ)を植えてみました。どうなるかというと、飛騨以外から来たコブシは暖かくなると飛騨のコブシより早く芽が出ます。早春の飛騨では暖かくなってもまた寒い日が来ます。そのため早く芽を出したコブシの枝は凍害により枯れてしまいます。飛騨の木は一度暖かい日が続いてもまた寒い日が来ることを知っているのです。飛騨以外から来た木は次年度も同じような傾向にあります。しかし年々飛騨にの気候に慣れてゆきます。木にも記憶がありそうです。
もしかして、鋏の記憶もあるかもしれません。木も生き物なので。いや、あるはず。でなければ進化も多様性もありません。
2018/08/06
景石の据え付けも、石積にも、どうしても必要なのがワイヤーである。1本吊りで使用して石を回して位置決めをするので、安全のため「巻き差し」のアイ加工したワイヤーは使用しない。でも、高山では「巻き差し」のワイヤーしか売っていない。というわけで、自分で編むしかない。祖父が死んでもうすぐ18年になる。死ぬ前にたくさんのワイヤーを編んで保管してくれた。そのお陰で編む必要もなく過ごしている。それに甘えてしばらく編んでいない。そうやって技術はなくなるのかもな。
2018/07/30
飛騨では、お客さんから「庭師さん」と呼ばれる。
昔の庭師は誇りも、おごりもあったようだ。
昔は仕事が完成し主人が職人を招いて宴会を催す際、その宴会の席順が決まっていた。上座の主人。その主人の隣が庭師。両脇に大工、左官、と続くわけである。つまり庭師が偉いという話だ。自分が若い頃聞かされた、「昔は字の持つ意味を大事にしていた。”庭師”の”師”は位が高い字で、昔は”師”の付く職種は”庭師”と”医師”くらいなものだった。」といった話、また、年配の大工の方と現場で会って、「若い頃、庭師に大工ごときが・・・と言われたことが悔しかった。」の類の話。職業差別の話だが、視点を変えれば見習う点はある。仕事に誇りをもって向き合っていて、よく勉強をしていた。庭や木は勿論、骨董や美術品、世間の動向に至るまで主人に合わせて話ができる術も知識も持っていた。見習いたくないこともある。もっと昔の江戸時代は、出入りしている家の事情を奥方よりもよく知っていて、お家の大事には真っ先に口封じのため殺されるのも庭師であったようだ。
庭師。面白い仕事だと思う。
飛騨では「山師」というステッカーを付けた車を見かける。「山師」にはバクチ打ちの意味があるので現在使わない言葉だと聞いたが、「山師」ステッカーにはそれもひっくるめて「山師」愛を感じる。
庭師も山師も絶滅しませんように。
2018/07/23
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