木は記憶することができる。何故か、どう言う仕組みか知らないが、記憶することができる気がします。個人的に木に記憶があると思った方が愛着がわきます。
庭師が使う言葉に「鋏慣れ」というのがある。使用例は「鋏慣れしとらん木をいきなり強よう入れると枯てまうぞ。」てな感じです。つまり、鋏を知っている木と知らない木がいることになるが、これは言葉のあやで、本当は記憶によるものと信じたいですが、そうは言えないようです。なぜなら、荒れた木を手入れすると、懐にいた弱い芽の枝を残すことになります。強く鋏を入れる程、弱い芽が多く残るので、枯れる可能性が高くなるからです。
次の例は、記憶があるように思えます。それは、雪解けの季節に観察できます。少し前の飛騨では、飛騨以外の木を移植する際は、移植したい木を雪の下で冬越ししてから春に木を掘り起こして植えていました。発芽の調整のためであると思います。思いますというのは、昔からそうしてきたので意味など考えないからです。前年に木(コブシ)を植えてみました。どうなるかというと、飛騨以外から来たコブシは暖かくなると飛騨のコブシより早く芽が出ます。早春の飛騨では暖かくなってもまた寒い日が来ます。そのため早く芽を出したコブシの枝は凍害により枯れてしまいます。飛騨の木は一度暖かい日が続いてもまた寒い日が来ることを知っているのです。飛騨以外から来た木は次年度も同じような傾向にあります。しかし年々飛騨にの気候に慣れてゆきます。木にも記憶がありそうです。
もしかして、鋏の記憶もあるかもしれません。木も生き物なので。いや、あるはず。でなければ進化も多様性もありません。
2018/08/06
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